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“UECHUのひと” インタビュー⑥ 〜未来航空研究家・野村誠さん〜

2024.2.20 / インタビュー:大曽根悠太


今回は、「ドローン工房VB12」主宰の野村さんをご紹介します。もともと航空自衛官だった野村さんは、当初は電気工学などを学び、技術面で航空機の開発(民間機、軍用機など)を行っていました。その後多種多様なジャンルの職業を経て、現在日本航空大学校で教鞭をふるっています。“未来航空研究家”としてドローンの将来性を見据えながら、災害時などに役立てるシステムの開発や、操縦士の養成に勤しみ、昨年からUECHUにも新たな研究室「ドローン工房VB12」を設けました。日本の未来を見据えた研究者の、75年間の波瀾万丈な人生に迫ります。

筆者:
飛行機に興味を持ったのはいつ頃からだったんですか?

野村さん:
赤ん坊だった頃にさかのぼります。私の地元は石川県金沢市なのですが、当時市内の中学校のグラウンドにヘリコプターがやってくる機会があり、父親に物見遊山で連れていかれたのがきっかけです。うろ覚えながらも、そのエンジン音や土煙が舞う様子が記憶の片隅に残っていて、知らず知らず興味が湧いていたそうなんです。父親が言うには、自分が小学生の時は、飛行機の爆音を聴くとじっとしていられない子どもだったそうですよ(笑


筆者:
幼い頃に体感したことが、そのまま今の仕事につながっているなんてスゴイですね!
自衛隊に関心があったきもあったそうですが、その時も飛行機には関わっていたんですか?

野村さん:
はい、航空自衛隊のパイロットに憧れていて、高校を卒業するやいなやすぐさま応募したのですが、近視だったこともあり断念。操縦士ではなく、飛行機の開発や飛行試験などを行う技術職に進むことにしたんです。大学生のときは金沢で電気工学を専攻していましたし、横須賀の防衛大学校では航空工学を勉強していたこともあり、自衛官時代は長く技術畑に身を置いていました。

                 

筆者:
パイロットになれなくても、自分の経験を活かして好きな飛行機に関わってきたんですね。

野村さん:
ええ、エアラインや自衛隊のパイロットにはなれませんでしたが、自家用操縦士の免許は取りました。でも自衛隊での階級も上がっていくと、開発や研究などの様々なプロジェクトを管理する立場となり、実践もフィールドワークもほとんどない行政的な仕事に行き詰まっていたんです。飛行機が目の前にないと面白くない…と思ってる矢先、HONDAの子会社である「本多技研研究所」が、ジェット機の製造開発に関われる人材を探していたことを知り、自衛官を辞めて転職することを決めました。その後はエンジニアとしてしばらくHondaJetの研究開発に関わり、そこでの経験が今のドローン研究にも大きく活かされています。



筆者:
あの ”世界のHONDA” で、自分の専門分野を活かしていたんですね!そのまま今の航空大学校での教職にながっていったんですか?

野村さん:
いえ、そのまま順風満帆に行けばよかったのですが、そこからハチャメチャな人生がはじまったんです…(苦笑

Hondaの子会社での仕事も、段々自分の本筋と食い違うところが出てきて7年で退職。その後は、ファイナンシャルプランナーとして企業のリスクマネジメントをする会社に就いたり、ある時は製造メーカーの品質管理部に就き、ひたすらクレーム対応に追われたり、ある時は不動産会社で商業ビルや住宅の管理をやったり…

筆者:
多種多様ですね(笑

野村さん:
転職する先々で仕事に没頭していましたね。特に不動産業は深みにハマりました。物件の管理は、飛行機の管理にも通じる点が多く、魅力的なハコをいかに作り、入居者をいかに増やすか…という考えは、飛行機で言う乗客にも置き換えられます。そんな空間作りが面白くなって、その後も不動産系の企業を3社ほど渡り歩いていました。ですが自分が60歳くらいの時に、金沢にいる両親の体調が悪化し、面倒を見なければと里帰りすることになったんです。職探しも並行して行っていましたが、地方で還暦を超えた人間に回る仕事もなく、途方に暮れていました。そんな時、父親が能登に飛行機関係の専門学校があり、教員の求人があったのを新聞で見つけ面接を薦められたんです。そして、日本航空大学校に教職として就くこととなりました。
  ドローンに携わり始めたのは、大学校赴任から5年が経ち、航空工学科に「ドローンコース」が新設された時。そろそろ教職も引退しようかな…と思っていた矢先に、学長から声をかけられ、夢中になれる新たな分野が見つかっちゃったんです。引くに引けなかったんですね…(苦笑


筆者:
何事にも没頭してのめり込める気質があるからこそ、ドローンとも出逢えたんでしょうね(笑  能登の大学で新たに始まったドローン研究を、遠く離れた小川町のUECHUでやっているのはどんな経緯なんでしょうか?

野村さん:
もともと自分が関東で仕事をしていた時代に、埼玉の鶴ヶ島市に家を買って妻子と住んでいたんです。大学でドローン研究に携わって以降、住まいのある埼玉を地盤に新たな研究活動ができる所を探していたところ、友人がUECHUを紹介してくれたんです。これだけ広い設備で、集中して研究に打ち込める施設が近くに出来たことはとても有り難いことですね。そして、UECHUがある小川町の気候風土も大変気に入っています。私は海の近くで育ちましたが、どちらかといえば山派です。気晴らしに散歩するには良い環境ですし、お店も多くて買い物するにも事欠きません。かつて仕事で小川町に来たこともありましたし、私の次男の結婚相手の実家が小川町なんですよ。色々と縁がありますね。元日の能登半島地震で、航空大学校も大きな被害を受けました。今は無き能登の研究所から望む山々に夕陽が沈む景色は、小川町のそれにとても似ているんです。
 小川町の人たちとの関わりも増えて、この地に愛着も湧いてきました。今後はドローン研究を通して、小川町の持つ ”伝統” に新しさを組み込んでいける機会を作っていきたいですね。具体的には、地域の企業と連携しながら地元の木材を使ったドローンを設計することで、日本の林業のあり方や、木の重要性を小川町で提唱していきたいです。また、子どもを対象としたドローンの操縦体験会も積極的に行っていきたいですね。これまでも能登や川越で、ドローン教育を実施したことがありましたが、ドローンの設計や操縦に少しでも関われる人が一人でも増えれば、今回の能登半島地震のような災害が起こったときにも早い対策が講じられると思うんです。ハードウェア作るだけでは意味がなく、それを活かせる組織がなくては機能しない。災害支援や貨物輸送などにも使えれば、戦争兵器にもなる代物。今後、ドローンを活用した地域として、小川町で協力してくれるパートナーも探しています!少しでも興味があれば、ぜひUECHUの私の研究所に遊びに来て下さい。

テスト操縦の様子

        

これまで自分が経験してきた仕事に共通することは「対象としている事柄の構造」や「設計の仕方」を考えること…と野村さんは語ってくれました。必要としている人に対して何が足りないか?何が超過しているか?…を究明し、最善を考え続けることで見えてくるものがあると。小川町でドローンがどんなことに役立つか?…少しでもドローンを活用してみたいと思う方がいたら、いつでも気軽に『ドローン工房VB12』を訪ねてみて下さい。


ドローン工房VB12
埼玉県比企郡小川町東小川2-22-1旧上野台中学校(UECHU)2F旧相談室

電話番号:080-4069-2518
参考URL:現在ドローン教育用のHPを準備中

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